医師紹介|近鉄生駒駅の形成外科・美容皮膚科|なかにし形成外科クリニック

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医師紹介

医師紹介|近鉄生駒駅の形成外科・美容皮膚科|なかにし形成外科クリニック

ご挨拶

中西 新

はじめまして。なかにし形成外科クリニック、院長の中西 新と申します。

私はこれまで2004年に医師免許を取得、2006年より形成外科医として16年間、様々な病院で形成外科診療に従事し、たくさんの患者様の治療を経験してきました。日本形成外科学会の専門医・指導医も取得し、2015年からは新規に開院した生駒市立病院で形成外科診療を立ち上げ、奈良県生駒の地をホームグラウンドとして、自分が納得できる形成外科診療を提供してまいりました。

今回、さらなる形成外科専門診療の充実を目指して、生駒市民なら誰もがアクセスしやすい近鉄生駒駅前の立地に、自分の個人クリニックを開院する運びとなりました。

なかにし形成外科クリニックの目標像「患者満足度の高い、高度な形成外科診療・フットケア診療・美容診療を奈良県生駒市の地域を中心に展開する」ことです。目標を実現させるために、クリニックでは以下の3つの基本理念を大切に運営していきたいと考えています。

<基本理念>

1.患者満足度が高い、患者様に寄り添った診療を提供する。

2.幅広い年代の患者様から信頼され、地域に必要とされるクリニックを目指す。

3.職員満足度を高く保ち、現状に妥協せず、常に新しいことに向かって前進していく。

形成外科が対象とする「疾患・病気・トラブル」は幅広く、多様です。性別・年齢を問わず、保険診療の視点からも、美容診療の視点からも、体表のトラブルに対して治療できる形成外科クリニックは、これからの時代にますますニーズが高まるものと思います。

どんな病気もそうですが、体表の悩みも人それぞれ、同じ悩みは一つとしてありません。形成外科医の真髄は、そういった多様なお悩みに対して、いかに寄り添いオーダーメイド治療を提案するところにあると考えています。たとえ小さなお悩みでも、本人にとっては大変なコンプレックスになっている場合も多く、親身になって解決策を提案させていただきます。遠慮なくご相談・ご受診いただけましたら幸いです。

患者満足度の高い診療を基本理念として、従業員の満足度も高い形成外科クリニックの運営を目指していきます。
ぜひお気軽にご受診ください。

なかにし形成外科クリニック 院長中西 新

経歴

平成16年3月 大阪市立大学 医学部卒
平成16年4月~ 社会医療法人きつこう会 多根総合病院 臨床研修医
平成18年4月~ 長浜赤十字病院 形成外科
平成19年10月~ 兵庫県立尼崎病院 形成外科
平成21年4月~ 京都大学医学部附属病院 形成外科
平成22年4月~ 浜松医療センター 形成外科 
平成24年4月~ 社会医療法人きつこう会 多根総合病院 形成外科 副部長
平成27年11月~ 生駒市立病院 皮膚外科 部長
平成28年1月~ 生駒市立病院 形成外科 部長
令和4年7月 なかにし形成外科クリニック 院長

資格・所属学会

  • 日本形成外科学会 形成外科専門医

生まれてから医師になるまでの軌跡

当院にご興味を持っていただきました方に、少しでも院長のことを身近に感じていただけるよう、幼少期からこれまでの歴史を写真とともに振り返りたいと思います。

1979年 4月 28日生まれ

和歌山県紀の川市で、2人兄弟の次男として生まれました。

和歌山県の紀の川市は、良く言えば自然がいっぱい、悪く言えば大変田舎です。

大自然を満喫しながら、大きな病気もせず、すくすくと育ちました。

紀の川市の東貴志小学校に入学、6年間の小学校生活は今でも時々思い出します。近所の友だちと集まって自転車で色んなところに遊びに行きました。当時から色が白く、日焼けすると真っ赤になって水ぶくれが出来たりしました。赤ら顔もあり、コンプレックスを感じていたのを思い出します。

この頃の経験は、形成外科医になった自分には大きく影響していると感じます。ちょっとしたホクロやニキビ、赤ら顔の相談などには、自らの体験も思い出しながら親身に接していくように心がけています。

中学・高校は「智辯学園和歌山中学・高等学校」に通学しました。自宅から学校まで1時間30分以上かかっていたので、最初は部活は諦めていたのですが、担任の先生がブラスバンド部の顧問だったことと仲がよくなった友だちがブラスバンド部だったことから、まったく楽器経験なしでブラスバンド部に入部しました。

楽器はアルトサックスを担当しました。ご存知のかたも多いと思いますが、智弁和歌山といえば「高校野球」が強いこと!ブラスバンド部に所属していたことで、野球のアルプス応援で演奏する機会が非常に多かったです。野球部が強かったおかげで、自分たちも甲子園に行って演奏できました。高校1年の春に野球部が甲子園で優勝、高校3年の夏にも甲子園で優勝を飾り、演奏しながら部員みんなで泣いていたのはかけがえのない経験になりました。

高校2年の文化祭ではサックスソロを吹かせていただきました。緊張しすぎて出来は最低だったのですが、今も覚えいている良い思い出です。

なつかしのブラスバンド部同級生(男子メンバー)の集合写真です。皆様の許可は得ていませんが、勝手に載せています。ご了承ください。

進路はかなり悩みました。最初はIT関連の企業に興味がありそちらの方向も考えていた時期もありました。志望大学や学部を考えているうちに、将来の職業がイメージしやすい医学部へ行きたいという思いが強くなりました。高校2年で生物学の面白さにハマり、理系教科が自分には向いていると自覚するようになりました。

智弁和歌山の周りの友だちにも恵まれました。部活も楽しみながら、友だちとバンドを組んでライブをしたこともありました。周りに医学部志望の友だちが多く、辛い受験生活もそれほど苦に感じること無く、みんなで一緒に頑張って大学受験を乗り切りました。

大阪市立大学(いまは大阪公立大学)医学部に現役で入学することができたことは、自分にとっては「小さな奇跡」でした。。

20才成人式の写真です。大学ではギターマンドリン部に所属、本当は軽音楽部で華やかなバンド生活を夢描いていたのですが、先輩たちの勧誘により気がつけばギターマンドリン部という「地味そうな」部活に入部していました。

ただこの部活、良い意味で「普通」ではありませんでした。たくさんの良い先輩や普通ではない先輩、良い後輩や普通ではない後輩に恵まれ、その後の人生に必要なたくさんのことを教えてもらいました。音楽の活動としても、オーケストラ音楽という奥深い作品を全員で作り上げていく作業は、その後の自分の人生に大きな影響を与えてくれたと思います。

中でもマンドリンオーケストラの学生指揮者の役割を与えられたことは、自分の中の扉が一つ開いたような経験でした。楽曲の研究、作り上げていくことの楽しさ、たくさんの人の前で指導・指示を行う経験は、医者になってからの様々な場面で活かせており、学会発表やチーム作りに大変役に立っていると感じます。

最後に宝物の写真を1枚。

最初に勤務した病院が京セラドームの直ぐそばだったことが幸いし、エアロスミスのコンサートに救護室医師として借り出されました。憧れのスティーブン・タイラーと対面し、コンサート前の診察をさせていただきました。大ファンだと伝えると最初の3曲だけステージの袖で聞かせてもらうことができました。その後1週間後にもツアーで戻ってこられて再開し診察させていただきました。

憧れの人を診察でき、医師という仕事の特殊性を感じました。